はじめまして。
『自己愛×自己肯定感UPセラピー』を提供しているsakiです。
辛く苦しい過去を経験したからこそ、ひとりでも多くの方が
自分らしく生きていくサポートをしたいと思っています。
まずは、私のことを知ってもらうために、プロフィールを書きました。
興味のある部分だけでもいいので、読んでいただけたらと思います。
❁ 小さいお姉ちゃんは、双子の長女 ❁
私は双子として生まれました。たった4分の差ですが、「長女」です。
子どものころは、自分が珍しい存在だとも思っていませんでした。なぜか知らないけど、注目されます。
私は恥ずかしがり屋で人見知りだったため、
大人から声をかけられることや、注目されることが本当に苦手でした。
「そんなに見ないでよ。」
「あんまり話しかけないでよ。」
ひと言声を発することにも勇気が必要な私の心の中は、こんな声ばかりです。
そんな私が心にダメージを受け始めたのが、小学校へ入学してからです。
1年生になる頃、妹との体格差が現れ始め、私よりも大きくなっていました。
その差は縮まらないまま、ある日、朝登校してすぐに言われた一言で、大きなダメージを受けます。
「なんでお姉ちゃんなのに、小さいの?」
『 グサッ!!!!!』
鋭いなにかを突きされたような気分でした。
何気ない一言でしたが、ずっと気にしていた私には、強烈な一言です。
あっという間に涙が溢れ、言葉も出ませんでした。その場から去ることもできず、泣くことしかできません。
コンプレックスの誕生です。私は自分に自信が持てなくなりました。
元々内向的な性格だったこともあり、人前に出ることや、堂々と振る舞うことができません。
「小さいわたし」を批判されたような、それが悪いことであるような、そんな気持ちが付きまといます。
妹は内向的な私と違い、性格も明るく天真爛漫な女の子です。
それはそれは、「双子はそっくり」と思っている人たちには驚きだったと思います。
似ている部分が少ないですから。
顔、体格、性格、勉強、運動、たくさんのことを比べられました。
自信を持てない私は、比べられるたびに嫌な気持ちになり、どこかに隠れたくなっていました。
そんなとき、ふと思ったことがあります。
「なんで私は、『わたし』なんだろう。他の人の体でも良かったのに、なんで『わたし』なんだろう…」
❁『なんで、わたしなの?』❁
漠然と思った自分の存在意義。
もちろん誰にも聞けず、そのとき深く追求することはありませんでしたが、
度々脳裏に現れたのを記憶しています。
妹よりも良いところはひとつもないと信じ込んでいました。
『良い子だったら、褒めてもらえる。』
自分を認めてもらうには、これがいちばんだと感じていたのでしょう。
自分に自信がないから、誰かに認めてもらうことで、心を埋めようとしていたのかもしれません。
友達に合わせ、先生や両親の言うことをよく聞き、怒られないように嫌われないようにする振る舞いが、
自然とできるようになりました。
これが続くと、だんだんと疲れてきます。自分の気持を無視する行動は、私の心をぐったりさせました。
「学校に行きたくない。」でも言えません。
「言って怒られたらどうしよう…」が頭から離れません。
そのまま我慢して行くしかないのです。
『行きたくない、でも言えない。行くしかない。でも行ったら苦しい。助けて…』
この葛藤を何度経験したことでしょう。
本当に限界を向かえたときは、勇気を出して言い、休むことができました。
両親の顔色を伺い、今か、今かと言う機会を探ります。
高学年にもなれば、図書館を逃げ場所として使うようになりました。本の世界は、心地いいものでした。
没頭すると、あっという間に時間が過ぎます。心も疲れません。
周囲に合わせること、良い子でいること、自分を抑え込んだまま中学生に突入します。
❁ 記憶にない青春時代 ❁
中学生、高校生は、ごく一部の記憶しか残っていません。
すごくすごく苦しかったから、私の脳内が、消してくれたのでしょう。
内向的で、良い子でいようとしている私は、自分を隠すようになりました。
できるだけ目立たないように、周囲に合わせ、顔色を伺う。そんな日常が当たり前でした。
双子というだけで目立ってしまうこともあり、できるだけ先輩とは関わりたくありませんでした。
自分のことを知られたくないという思いとは裏腹に、妹の明るさは人気を集めるようになりました。
妹が自分とは違うことはすでに認められていたから、それはそれで良かったのです。
「妹派」「姉派」
どこからともなく、こんな噂が耳に入ってきます。
それを聞くと、心の中はどんよりとした雲に覆われ、どんどん暗くなります。
妹も全く悪いわけではありません。
でも私は一緒にいる環境から開放されたい気持ちがフツフツと湧き始めました。
学校も嫌になり、人と関わることも嫌になり、でも悩んでることも言えず。
良い子であることすらバカらしく思えましたが、続けるしかありませんでした。
高校受験。
私の両親は優しい心の持ち主ですが、厳しさもありました。
同級生よりも厳しい環境で育ちましたが、礼儀やマナーをしっかりと教わりました。
「ここに行きたい。」
私は妹と別の高校の名前を出しました。
でももちろん反対。
『なんで一緒じゃなきゃいけないの?私はやっぱり従うしかないのか。また始まるのか…』
自分がしたいようにできないこと、自分の思いを分かってもらえないこと。
また同じ生活が始まること。
すべてが嫌になっていました。
高校受験も、高校へ行くことも、すべてから開放されたくて仕方ありませんでした。
どんよりとした曇り空、たまに真っ暗になっては雨が降る。
ちょっと太陽が顔を出したと思ったのもつかの間、またすぐに雲に覆われる。
そんな心のままに過ごしていました。
❁ 人生を辞める勇気 ❁
小学生から始めたバレーボール。強豪ではありませんでしたが、それなりに強いチームでした。
「もっと気持ちを強くしなさい。そんな弱虫じゃ勝てません。」私だけが言われていました。
大きい声も出せないけど、勝つために厳しい練習にも耐えました。
心の中では燃えていても、監督や先輩には伝わりませんでした。
『そんなに弱虫って言われなきゃいけないの…勝ちたい気持ちはちゃんと持ってるのに…』
中学時代の私は、高校でバレーを続ける自信がありませんでした。
でも、やらなければいけない雰囲気と、その流れから逆らえない自分がいました。
『思ったことが言えない、できない、言っても反対されるかもしれない。』
部活以外は淡々と生活していたのですが、午後になると、憂鬱になります。
練習は厳しく、時間も長く、週末も1日中練習です。
当時は暴力的な指導もありましたが、覚悟していたおかげか、そこにはめげませんでした。
しかし、監督の理不尽な言葉と、会話をしてくれない態度、そこに解決策が見いだせない自分。
そこから数ヶ月頑張りましたが、監督には受け入れてもらえませんでした。
バレーが好きという感情はなくなり、夜も眠れなくなり、体調不良が続くようになりました。
もう限界だと思い、辞めることを考え始めます。
逃げるやつは、この先なにひとつできない。
全部失敗する。
どうせ不良になる。
たかがそんなことで辞めてどうする。
絶対後悔する。
周囲からはこんなことを言われ続け、
先輩や同級生の一部から無視され続け、
無理やり手を引っ張って体育館に連れて行かれる。
そんな日々が続きました。
家にも、学校にも、私の気持ちを理解してくれる人がいないと感じ、ほんとうに辛い毎日でした。
誰も、聞いてくれようともしないのです。
気力もなくなり、どうでもよくなっていました。
朝が来ても私は真っ暗闇の中。
ようやく勇気を出して、自分の気持を伝えたのに、それすらも受け入れてもらえない。
人に従っているだけが、私が正しくあることなのか。
そう思ったら、自分がいる意味がわからなかったのです。
「良い子」で生きてきた私が不要になったと感じた瞬間、
何も感じることのない真っ暗闇に飛び込みたくなりました。
電車を見るたび、橋を渡るたび、横断歩道で止まったとき
「今だ」と思うのです。
でもそれすらも勇気が出ません。
窓から見下ろしても、怖いのです。
心底勇気のない自分にがっかりしました。
『ほんとうに私は、なにもできないんだ』
❁ 生きる希望 ❁
部活を辞められた私は、大学へ行く条件を出されました。
誰もいない静かな自分の部屋は、ピンッと糸を張らず、ゆっくり息をつける場所だったのです。
『はやく大人になりたい』
大人になることが、唯一の希望でした。
部活を辞めた後悔は一切なく、毎日学校が終わるとすぐに学校を出て、帰宅していました。
部活を辞めた一件で、家族から信頼してもらえないことは分かっていました。
それでも自分の思いや、進みたい方向性、やりたいことを信じて欲しい気持ちでした。
高校生であっても、親から信頼してもらえないことの悲しさは常にありました。
『私が認めてもらえるのは、勉強すること。』
家族が心配しないように大学へ入り、資格を取って就職することが目標になりました。
しかし、第一志望の大学へ行けず、出された条件をクリアできなかったのです。
それでも両親は他の学校へ入学させてくれました。
部活を続けられなかった弱い自分、
出された条件をクリアできなかった自分、
いつまで経っても思うようにならない自分が嫌いでした。
いつになったら、ひとりの人間として認めてもらえるのか、
自分はこのまま何もできずに終わってしまうのか、闇から抜け出せずにいました。
大学入学後、頑張って勉強しました。
卒業試験も国家試験もクリアし、ようやく理学療法士になりました。就職先は総合病院でした。
❁ 病気、うつ病のおかげで変われた ❁
就職先での環境は恵まれていました。
比較的穏やかに過ごせましたが、私の性格上、大満足の職場ではありませんでした。
周囲に馴染み、目立つようなことはせずに毎日を過ごすことを考えていましたが、そううまくはいきません。
いろんなスタッフと関わり、後輩も入ってきて、私はどんどん息苦しくなっていきました。
とにかく気疲れして心がクタクタです。エネルギーが吸い取られ、自分がしぼんでいくような気分でした。
仕事は、患者様と会話することも楽しく、これまでにない感覚を味わえていました。
そんな中、患者様からつらい気持ちや、やるせない気持ちを話される機会がたくさんありました。
私自身、心の中の苦しさや辛さはずっと抱えてきたので、共感できることが多かったのです。
心の中の苦しさは、ときに痛みとなって現れます。
体調不良が続き、限界を向かえたある日、病院へ行くと病気であることが判明しました。
治療しながら仕事をしましたが、強い薬で、ますます体調は悪くなります。
そして動けなくなり、うつ病であることが分かりました。
眠れない、不安、動けない、食べられない。家の中を歩くのもやっと。
心療内科に通い薬を飲み、1ヶ月が経った頃、自分の意識が少し戻ってきました。
『これがうつ病か、今そうなんだ、つらいな〜また死ぬこと考えちゃうのかな〜』
もう少し回復した頃、「うつ病の自分」を客観的にみるようになりました。
どれだけ辛くて、どうにもできなくて、自分がなんでこうなったのか振り返りました。
過去の自分を許せず、自分の心を抑えつけ、誰かのために頑張ろうとしていた。
常に優先していたのは自分ではなく他人…
ようやく自分に向き合えた時間でした。
そして私は、カウンセラーとして活動することを決めました。
❁ 私からのメッセージ ❁
長いプロフィールを読んでいただき、ありがとうございます。
このように、私は暗い過去を過ごしてきました。
みんなが楽しく感じる青春時代は、記憶も少なく、暗黒期です。
◎内向的な自分が好きになれず、存在意義も分からなかった
◎誰かに認めてもらいたくて、必死に頑張るしかなかった
◎我慢すること、無理をすることが当たり前の自分
ここからようやく抜け出せました。
嫌なことから逃げたこと、家族に認めてもらうために頑張っていたこと、
自信のなかった内向的な自分を、すべて受け入れました。
今では過去の弱さが、今の私を作ってくれたと思えています。
そう思える自分に変われたことが自信になりました。
弱かった過去の私も、今も変わらず内向的な私も好きになっています。
あなたにもその力がありますよ。
✓自分のことが好きになれない、信じられない
✓他人の目が気になる
✓自分らしく生きたいけど、どうしたらいいかわからない
私はそんなあなたのサポーターです。
あなたの眠っている力を一緒に信じて、一歩前へ進むお手伝いをします。
ゆっくり、あなたのペースでかまいません。
まずはお話ししてみませんか?
相談内容が決まっていなくても、そこから見えてくることもあります。
お気軽にいらしてくださいね^^
お試しカウンセリングも受け付けています!